アラゴラスさん、せっかく抜け出そうとしているところで、まるで水を掛けるような提案ですが・・・
YLで進み具合を計るのは少しずつ止めにしていきましょう!
YLの始まりにはぼくも関係したのでかなり罪悪感がありますが、
多読は勉強でも学習でも修行ではないので、階段を上っていくイメージは合わないと、
YLに関わっていたころから感じていました。その後YLも、語数積み上げも(こちらは
ぼくひとりで言い出したわけで、その分罪悪感は一入ですが)、GRを提案したことも
(これは当時多読に向いた絵本がほとんど見つかっていなかったので仕方ない面も
ありますが)、みんな良い面と悪い面と両方あったと今は考えています。
そこで、語数やYLやGRに「囚われている」人を見ると胸がズンと重くなります。
多読は読書です。これはずいぶん前から言っていますが、100万語やYLや
GRのようにはやらなかった。でも、本当です。多読はつまるところ読書です。
読書はだれもレベルだとか評価だとか理解度とか言い出しませんよね?
それは読書はそういうものを越えた一人一人のものだということをみなさん
わかっているからでしょう。
ところが多読は不幸な始まりだった。不幸にしたのは100万語という数字を
言い出したぼくがいちばんの責任がありますが、一方で不幸な始まりにもめげずに
多読が読書になっていった人もたくさんいました。
数字は印象に残りやすいので多読の普及に役立ったと思いますが、
一方で印象が強すぎて数字から抜け出すのはとてもむずかしくなってしまった。
多読の功罪、何事にも光と影のあることを思わずにはいられません。
アラゴラスさん、いつか(YLも語数もGRも忘れて)心の赴くままに英文読書を楽しまれますよう・・・
