ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

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Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by みちる » 2013年1月15日(火) 12:35

酒井せんせい、みなさん、こんにちは。

引用は、必要なところを全部カバーしてくださいね。

コストの問題だけではなく・・・ということで、

> 私もそうなのですが、読書時間のほとんどは通勤時間という人は多いのでは
> ないかと思います。
> スマートフォンなど動画が見られるデバイスは持っていないですし、座れない時
> が多く、何冊も持ち歩いて、何冊も読みかえてということは難しいです。
> 通勤時だと、児童書の表紙でも恥ずかしいという方も結構いますよね。

> 友達だと、車通勤で、家族がいるので家で本を読むということもなかなか
> 難しいから、本なんて年に数冊しか読めないという人も。

> そんな状況にあって、最初に1000語くらいの絵本か、動画と言われたら、
> あ、無理と思ってしまうよなぁ・・・と。

と書いていて、そういう方には、絵本や動画というよりも、

> 易し目のGRなら、恥ずかしくなく冊数も少なくて済むし、
> 音も合わせられたら、よりイメージが広がる。
> それに合わせて、児童書やビジネス書などにも広げていけば、
> どうかなとか、
> 子供歌や易しいオーディオブックの音源をリスニングしてみたり、
> シャドウイングをしてみたりして、時間があるときに音源を聞いた
> 本や、絵のある本を読めそうなら読んでみてはどうかなとか・・・。

と書いているのです。

自分に合わせてというのもそういうことです。
自分に合わせて辞書を引くという話ではありません。

時間がたくさんあるのか、少ししかない(動画は難しい)のか、
家なのか、移動時なのか、
どういうものが好きで(興味があり)、どういうものが嫌い(恥ずかしいなども
合わせて)なのか・・・。

denkoさん、omayuさんにしてもそうだと思うのですが、
酒井せんせいのブログを読んだ印象だと、
> たくさん(例えば100万語)読むことにはそれほど意味が無く、
> 絵や動画をついたものを読むことにこそ意味がある。
という風に感じられるのです。

それで、みんな易しい本の大切さは十分知っているけれど、
コストやその人の時間によって、そういう風なのが難しい人もいて、
そういう方が、酒井せんせいのブログを読んだら、
無理って思ってしまうのではないかなぁ・・・と危惧しているのですよね。
長くいる私たちではなく、例えば外からちょっと読みに来た人が、
酒井せんせいのブログだけを見たら、どう思うかなぁと考えたときに。

私の場合も、何か興味を持って、著者のサイトやブログに行って、
一つ二つブログなどを読んで、やっぱり合わないかなぁってやめてしまうこと
よくあります。

だから、易しい絵本の大切さを示すのも大切だけど、
じゃあ、そういうのが難しい場合はどうしたらよりよくなるのかなという
ことを同時に示して言った方がいいのではないかなぁと。

そういう意味では、こういうのは大事と思うことはブログなどよりも、
フォーラムの中でどう思う?という形だとか(ちょうどこのスレッドのように)、
多読の参考として、より膨らませるヒントという形でHPのコンテンツとして、
ほかの事と並べて書かれるスタイルの方がいいのかもしれません。

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記事: 387
登録日時: 2011年9月08日(木) 22:44

Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by みちる » 2013年1月15日(火) 12:59

katobushiさん、こんにちは。

レスありがとうございます。

私にとっては、多読ってどんなもの?といえば、

swallowって、ヨーロッパ大陸から冬に寒くなるとエジプトに
渡る小さい渡り鳥で、納屋や軒下などに巣を作って子育てを
する。

appleって、木からもぎ取って洋服でちょいちょいっと
汚れを落として皮ごとかじる果実。
子供がポケットの中に入れておいて、おやつに食べたりも
する。ポケットに入れられるんだから、せいぜい野球ボール
くらいで、ある程度の硬さがあるみたい。

と、これは単語だけですが、文章にまで広げて、そういうのを身に
つけていくことなんだと思っているんですよね。

それで、訳する必要があれば、ツバメだったりリンゴだったり
なんだなと分かれば。

最初に日本語でみてしまうと、大きさだったり質感だったり、
どういう性質なのかというのは、分かったということにマスク
されて見えなくなってしまうかもしれない。

そういう風に知れば、日本にいない(聞いたことがない鳥でも)
この鳥はアメリカでは春を告げる鳥なんだなぁとか分かったり。

そんな風に身につけられるものはみんな多読と思っているので、
多読の範囲広いんですよね。
なので、なんでこれを多読の広がりと思えないのだろうと思って
しまうことも多いんです。

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登録日時: 2011年9月08日(木) 22:44

Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by omayu338 » 2013年1月15日(火) 14:35

酒井先生、先生は

さかい@tadoku.org さんが書きました:とはいえ、入り口では50万円以上も使う「自分」は想像できないでしょうから、
入り口を安くする努力は必要ですね。(そこで、学校、図書館という話になります。

ただし、それだけではないです!

仲間を誘って安くしている人、ヤフー・オークションや古本屋を使っている人、さまざまな工夫があるようです。

そういう知恵もここに寄せてください!

と書かれていますが、このスレッドで皆さんが言われているのは、「入り口を安くする」事を含めた、
多読(tadoku)の「入り口の敷居を下げる」または「間口を広げる」話に他ならないと思うのです。


みちるさんのおっしゃる
「自分に合わせてどういうふうに取り入れていけばいいか、
どういう風に広げていけばいいかということを考えられるようにする。」

ことも、私の言葉で言えば
「自分が辞書無しで楽しんで読めるところ(レベル・内容など)から始める」ことも
入り口を下げる知恵として、ここに提案されているものだと思うのですが、
そうはとって頂けませんか?



易しい絵本を大量に読むことが、大事な事なのは充分理解しています。
理解したからこそ、そう言った本を読むために自ら進んで電通大の多読サークルへ参加したのです。
そして、私に関して言えば多読を始めて、易しい絵本の重要性を自分自身で理解した後に読んだ時の方が
多読初期にただ良いからと言うだけORTを読んだ時より、ずっと有益に染み込んだと思っています。


先生は
自由時間のない人に、わたしが解決を提案できるのだろうか?

とおっしゃっていますが、私が言ったのは「外に出る自由な時間」であって、
小さなお子さんがいらっしゃるような方は、本などを読むある程度の自由な時間は有っても
お子さんを連れて外へ出るのが難しいと言う例を念頭に置いています。
冷静にキチンとお読み頂ければそう書いてあるのが、お分かりかと思うのです。


このスレッドで言われている個々の具体的な例は以下の事を言いたいが為の
一例であり、それは他の方も同様で、先生に個々の例への解決策の提案が求められているとは私には読めません。

私が言いたいのは(私のみでなく、私以外の皆さんが、だと私は読んでおりますが)
"始めは「自分が辞書無しで楽しんで読めるところ(レベル・内容など)から」始めていいんだよ
という内容の事も、併せてもう少し言って頂きたい。"
と言う事で、それがこのスレッドで皆さんが仰っている事であり、
それが多読の入り口を下げ、広げる事だと、コメントされてる皆さんが思われているのではないでしょうか?

そのうえで、このスレッドで具体的に先生の対処として求められているのは
みちるさんのおっしゃる
「自分に合わせてどういうふうに取り入れていけばいいか、
どういう風に広げていけばいいかということを考えられるようにする。」

事や、denkoさんのおっしゃる
手持ちの資源を有効活用して、レベルUPする方法もご教示いただきたく思うのであります。

ということではないでしょうか?

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登録日時: 2011年9月05日(月) 23:56

Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by MIKI » 2013年1月15日(火) 14:47

さかい先生、こんにちは。

「助言つき郵送ブッククラブ」の構想、すごく楽しみです!!
一箇所のNPOだけでは本が足りなくて実現が難しくても、全国にいる多読仲間の本棚も登録して、
全国いろいろなところから、本が貸し出しできるような、うまい方法はないかしら。

さかい@tadoku.org さんが書きました:「語数より冊数」それ自体は間違いないです。
味わうことも冊数から生まれてくると思います。
灘高の先生の話はよく知りませんが、何時間もかけるのでしょう?
その間に先生がいろいろな話をしたのではないかな?
それが冊数とおなじ(ひょっとすると絵とおなじ?)役割を果たしたかもしれないですね?

読書百遍意自ずから通ずる ということはあるかもしれませんが、
(実際にそうした人を知らないので)
1冊だけ(ほかの本は一切読まずに)、だれにも頼らずに、何度も読んで、
言葉が分かるようになるとは思えないですねえ・・・

先生、ごめんなさい。
灘高の橋本先生の話をここで引き合いに出すのはまったくふさわしくなかったですね(^_^;)
日本で、日本人のしかも進学校の学生たちを相手にした授業なので、比較になりません・・

さかい@tadoku.org さんが書きました:もう一つ言うと、わたしは 質は量からしか生まれないと思ってるんですが・・・

「量」というのは、違うものをいくつもいくつも、というだけではなく、
同じものを何度も、という繰り返しも含まれるんですね。

さかい@tadoku.org さんが書きました:
そもそも、「言葉を白い紙の上に印刷した黒い字」として考える人々というのは、
どういう人々なんでしょうね?
英語は「勉強」するものと思って、試験の結果がすべての人々?
「多読(tadoku)」も、試験のための勉強の方法のひとつとでしかないから、
いくら読んでも読んでも「言葉の世界が痩せる、味気ない広がらない」
ということになってしまっているのではないのかしら?
そういう人々は、たとえやさしい本を何冊も読んだところで、せいぜい、
「あ、この前置詞はこういう場合に使うんだ」とか「このイディオムは重要」とか、
そんなことばっかり考えているような気が・・・


その通りですね。そういう人をたーくさん見てきました。

やはり、英語は「勉強」するものと思ってる人々のことをさしていたんですね。

さかい@tadoku.org さんが書きました:「絵本からの多読だけ」を勧めているように見えたのはどの発言でしょう?
わたしの書いたこと全般からそう受け取れたのかな?
絵本の話をするときはテレビ・ドラマや映画や日常生活で英語に触れることも書くようにしているつもりですが、
そうは読めなかったのか。それとも「絵本からの多読だけ」を勧めていて、忘れているのか?

たしかに、先生の書かれたものは、絶対にそうでなければならない!というようなものはなかったと思います。
おそらく、私が勝手にいろいろ解釈して、そう受け取ってしまったのですね。すみません。

ただ、札幌での講演会での「文字なし絵本」から始めることの大切さを強調されていたこと、
「語数より冊数」の話題の始まりの記事で例にあげられていた、5000冊で25万語という数、
その後の「100万語から1000冊へ」というスローガンの変更の話題など・・・
一連の記事などを読むうちに、だんだんと、「絵本からの多読だけ」勧められているように
いつのまにか受け取ってしまっていました。
1000冊とか5000冊とかいう冊数の数字が、いつのまにか、私の頭の中でひとり歩きしてしまったかも。
数字やことばのひとり歩きって怖いですね(>_<)

この「語数より冊数」の話題がFacebookに投稿された後、酒井先生の以前のブログ記事を読み返してみて、
こういうことが、ああいう発言につながっているんだなあ・・・など、今までぼんやりしていたことが、
少しずつわかるようになってきたように思います。
ブログから探し出すのはけっこう大変なので、リンク貼っておきますね。

「(重要!) やさしいことばはどこにある? 第三回の追補」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2009/10/12_2323.html
は、この間もリンク貼りましたが、もう一回。

「やさしいことばがそのままわかること」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2009/07/31_2249.html
「やさしいことばをたくさん吸収すること 連載第1回」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2009/08/02_0047.html
「やさしい絵本の大切さ 絵本を果実にたとえると・・・」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2010/02/04_2045.html
「内容語と機能語という視点」
http://tadoku.org/old-blog/archives/2008/10/26_1227.html

MIKI

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MIKI
 
記事: 314
登録日時: 2012年6月24日(日) 20:49
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Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by さめちゃん » 2013年1月15日(火) 14:58

MIKIさん、酒井先生、みなさん、こんにちは。
さめちゃんです。

横やりで失礼します。橋本先生のお話が出ていたので、少しコメントさせて下さい。

>「言語の習得」のためには、質より量かもしれませんが、
>「言葉(や作品)の世界を深く味わう」のあれば、量より質で、
>灘高校の橋本先生の実践の例
http://blog.goo.ne.jp/chaosbrave/e/0c98e313138ab578040257cea417ceed
>にもある通り、1冊の本を読むだけでいい場合もあるでしょう。

元灘高校の橋本先生が一躍時の人となり、「スローリング」という言葉だけが一人歩きし始めているようですが、
橋本先生は2012年2月に出された「伝説の灘校教師が教える 一生役立つ学ぶ力」の中でこのようにも述べられています。

「なかば学生時代の反動で読書に没頭しているときに出会ったのが、中勘助の『銀の匙』だったのです。これに魅せられてほかの
作品も読んでいるうちに、すっかり中勘助に心酔し、結局全作品を読破しました。そう、言うなれば、のちの「スローリーディング」授業
誕生には、「乱読」「多読」が少なからず寄与していたわけです。」(PP55?56)

「ここまで見てきたように、考える力を付けるためにゆっくりじっくり1冊の本を読み込む。それと同時に、人の生き方、あり方の幅を知る
ために、なるべく多くの本を読む。この両輪がそろってはじめて、「真に国語力を養う読み方」ということになるのです。」(78ページ)

橋本先生は国語の先生ですが、将来の学校における英語多読のあるべき方向性を私のような英語教師にも示して下さっているように思います。

・授業内多読で「乱読」しつつ「多読」出来る環境を用意してあげる。
・普通の授業では検定教科書ではなく一冊のよい本を用いた精読をする。

我々多読を実践する現場教師も出来るだけ誰でも多読出来る環境が出来るように微力ながら多読の普及に精を出しております。
以前の英語教育界においては、小・中・高・大・高専・英語教室・学習塾まで巻き込んだここまで大きな英語教師同士の連帯は見られなかったように思います。将来に希望を持って堪え忍んでいきましょう! We shall overcome!

では。
さめちゃん

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さめちゃん
 
記事: 8
登録日時: 2012年1月20日(金) 20:32

Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by katobushi » 2013年1月15日(火) 15:38

さかい先生、みなさん、こんにちは。
そして横入りすいません。大変恐縮なのですが、、、

実は、MIKIさんの
MIKI さんが書きました:もっと言えば、「酒井先生は易しい "絵本" からの多読 ”だけ” を勧められている」ようにみえました。

にとてもびっくりしました!
僕は全然そんな風には考えなかった。。。

でもコメントを見返してみると、みなさんそう見えたということなのですね。。。
正確には、(私たちには真意はわかるけど)初めて多読を知った人にはそうみえるから気を付けてください!
ということだったのですね。
今やっと、他の皆さんの言いたかったことがよく分りました。
今さらで本当にすいません。。。

それで。。。確かに、そう取れる。。。
100万語なんて意味ない、絶対絵本にしろ!って言ってるみたいです。。。

でも僕は。。。さかい先生には「語数より冊数」と言ってほしい派なんです。
多読を取り巻く状況に対して、「語数より冊数」と言わなきゃいけないなら、
それを言うのがさかい先生の役割だと思うからです。

で、それを言うと色々問題も出てくる、そこが心配、ということなら。。。
そこは先輩方がフォローするというのはどうですか!?
(完全に丸投げですいません、、、僕ももうちょっとtadokuが進めば微力ながらお手伝いできるかも。。。)
正直な感想として。。。そのフォローをするために
先生本人が、矛盾するような注釈を毎回付けなきゃいけないなんて、
ちょっと負担が大きすぎませんか??体に悪そうですよ!?
というかそんなことが本当に可能でしょうか?説得力を持つのでしょうか??

そういう意味で、みちるさんの
みちる さんが書きました:だから、易しい絵本の大切さを示すのも大切だけど、
じゃあ、そういうのが難しい場合はどうしたらよりよくなるのかなという
ことを同時に示して言った方がいいのではないかなぁと。

そういう意味では、こういうのは大事と思うことはブログなどよりも、
フォーラムの中でどう思う?という形だとか(ちょうどこのスレッドのように)、
多読の参考として、より膨らませるヒントという形でHPのコンテンツとして、
ほかの事と並べて書かれるスタイルの方がいいのかもしれません。

は、現実的で、建設的な提案だと思いました!
と書きながら、だから今、そうなってるじゃん、ということかもしれませんが。。。
ん???

結局なにも提案できないまま仕事に戻ります。。。
(さぼってた訳じゃないです!遅めの昼休憩です!!!!) :kuu:

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katobushi
 
記事: 1801
登録日時: 2012年8月02日(木) 16:53

Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by horimama » 2013年1月15日(火) 17:09

なんか、長く書いたのですが…いつの間にかログアウトしていて、記事が全部消えてしまった…… :odoroita:

このスレッドの皆さん、こんにちは。horimamaです。

消えてしまったということは、書かなくていいことが書いてあったのか?と考えて投稿はやめようかと思いましたが。。
他の方が書いていない点だけ。

この多読フォーラムのトップに、

・「NPO多言語多読」は外国語を身につけたい人やそれを支援する人たちに、「多読」という言語の新しい身につけ方を提案し、応援します。

そして、「NPO多言語多読」のサイトやパンフでは

・「多読とは?ごくやさしいものから楽しみながらどんどん読んでいくことです。」

とあって、「語数よりは冊数?」というブログ記事、各種講演や講義での「字のない絵本の大切さを強調」されたことから、
他の書き込みやブログの古い記事などを丁寧に読まないと、現在の多読フォーラムで行われている各種試みを見る前に、

「簡単な絵本から、たくさんの本を読むなんて無理」

と受け取られても仕方がないのでは、と思います。

前に「多読からtadokuへ」ということをおっしゃっていたと思うのですが…その辺も含めて、定義について、現状を踏まえたものに変更してはいかがでしょう。


我が家の場合、“日本語をほとんど介さない”場合をすべてひっくるめてカウントするために、語数も冊数もページ数も捨てて
「時間」のみをカウントする子と、やったことだけ日記のようにメモする子にわかれました。
「時間」は達成感を味わいたいための、仮の手段として使い、それを結果と結び付けるための記録ではありません。
「記録することで継続を促す」ためです。
精神科医の先生が、何かを継続するのに「記録が大事」とおっしゃっていたので……

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登録日時: 2011年9月06日(火) 21:59
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Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by さかい@tadoku.org » 2013年1月15日(火) 19:17

急いでお返事します。

みちる さんが書きました:> 易し目のGRなら、恥ずかしくなく冊数も少なくて済むし、
> 音も合わせられたら、よりイメージが広がる。
> それに合わせて、児童書やビジネス書などにも広げていけば、
> どうかなとか、
> 子供歌や易しいオーディオブックの音源をリスニングしてみたり、
> シャドウイングをしてみたりして、時間があるときに音源を聞いた
> 本や、絵のある本を読めそうなら読んでみてはどうかなとか・・・。

と書いているのです。

自分に合わせてというのもそういうことです。
自分に合わせて辞書を引くという話ではありません。


あ、それはわかっていますよ。
わたしが言いたかったのは「自分に合わせて」という言葉自体が時にとても
問題なことがあるということです。「自分に合わせて」が難しいのであって、
あとは「辞書を引く」でもなんでも関係ないのです。

自分が望んだことなのか、自分が望んでいるかのように思い込まされているのか?
ということです。

denkoさん、omayuさんにしてもそうだと思うのですが、
酒井せんせいのブログを読んだ印象だと、
> たくさん(例えば100万語)読むことにはそれほど意味が無く、
> 絵や動画をついたものを読むことにこそ意味がある。
という風に感じられるのです。

それで、みんな易しい本の大切さは十分知っているけれど、
コストやその人の時間によって、そういう風なのが難しい人もいて、
そういう方が、酒井せんせいのブログを読んだら、
無理って思ってしまうのではないかなぁ・・・と危惧しているのですよね。
長くいる私たちではなく、例えば外からちょっと読みに来た人が、
酒井せんせいのブログだけを見たら、どう思うかなぁと考えたときに。


すでに何度も書いていますが、わたしはだれにも多読が合うとは思っていません。
(これは「外に出る自由な時間」や「非常に恵まれた環境」とは関係ありません。
 非常に恵まれた環境にありながら「合わない」人もいます。)

また、わたしは「外からちょっと来た人」全員に分かるように多読を紹介できる自信はありません。
開き直りではなく、これまでの実績からして、日本人の5%くらいしかわたしが言っていることを
ちょっと読みに来ただけで分かる人はいないだろうと見ているのです、残念ながら。

その5%は、サイトやブログのどこかに反応して、「多読って、ほかのどんな方法とも違うようだ」
あるいは「へー、信じがたいね。でも賭けてみるか」と思うのだとわたしは想定しています。

私の場合も、何か興味を持って、著者のサイトやブログに行って、
一つ二つブログなどを読んで、やっぱり合わないかなぁってやめてしまうこと
よくあります。

だから、易しい絵本の大切さを示すのも大切だけど、
じゃあ、そういうのが難しい場合はどうしたらよりよくなるのかなという
ことを同時に示して言った方がいいのではないかなぁと。

そういう意味では、こういうのは大事と思うことはブログなどよりも、
フォーラムの中でどう思う?という形だとか(ちょうどこのスレッドのように)、
多読の参考として、より膨らませるヒントという形でHPのコンテンツとして、
ほかの事と並べて書かれるスタイルの方がいいのかもしれません。


いまウェブサイトの改善はいろいろな事情で先に延びていますが、それは参考にします。ありがとう! 

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記事: 4083
登録日時: 2010年12月13日(月) 23:19
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Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by さかい@tadoku.org » 2013年1月15日(火) 19:33

急ぎお返事します!

omayu338 さんが書きました:酒井先生、先生は

さかい@tadoku.org さんが書きました:とはいえ、入り口では50万円以上も使う「自分」は想像できないでしょうから、
入り口を安くする努力は必要ですね。(そこで、学校、図書館という話になります。

ただし、それだけではないです!

仲間を誘って安くしている人、ヤフー・オークションや古本屋を使っている人、さまざまな工夫があるようです。

そういう知恵もここに寄せてください!

と書かれていますが、このスレッドで皆さんが言われているのは、「入り口を安くする」事を含めた、
多読(tadoku)の「入り口の敷居を下げる」または「間口を広げる」話に他ならないと思うのです。


みちるさんのおっしゃる
「自分に合わせてどういうふうに取り入れていけばいいか、
どういう風に広げていけばいいかということを考えられるようにする。」

ことも、私の言葉で言えば
「自分が辞書無しで楽しんで読めるところ(レベル・内容など)から始める」ことも
入り口を下げる知恵として、ここに提案されているものだと思うのですが、
そうはとって頂けませんか?



易しい絵本を大量に読むことが、大事な事なのは充分理解しています。
理解したからこそ、そう言った本を読むために自ら進んで電通大の多読サークルへ参加したのです。
そして、私に関して言えば多読を始めて、易しい絵本の重要性を自分自身で理解した後に読んだ時の方が
多読初期にただ良いからと言うだけORTを読んだ時より、ずっと有益に染み込んだと思っています。


すでに何百万語も読んだ人は、まさにomayuさんの言うように、これから絵本やドラマや映画で
「やさしい英語」に触れたら、それこそどんどん吸収できるでしょうね。

けれども、それだけが入り口ではない。
これから始める人はできれば絵本やドラマや映画から入るといいと思います。
可能なかぎり、それを勧めます。

先生は
自由時間のない人に、わたしが解決を提案できるのだろうか?

とおっしゃっていますが、私が言ったのは「外に出る自由な時間」であって、
小さなお子さんがいらっしゃるような方は、本などを読むある程度の自由な時間は有っても
お子さんを連れて外へ出るのが難しいと言う例を念頭に置いています。
冷静にキチンとお読み頂ければそう書いてあるのが、お分かりかと思うのです。


それはわたしの読み方が不足でした。まったくそうは思っていなかった。

このスレッドで言われている個々の具体的な例は以下の事を言いたいが為の
一例であり、それは他の方も同様で、先生に個々の例への解決策の提案が求められているとは私には読めません。

私が言いたいのは(私のみでなく、私以外の皆さんが、だと私は読んでおりますが)
"始めは「自分が辞書無しで楽しんで読めるところ(レベル・内容など)から」始めていいんだよ
という内容の事も、併せてもう少し言って頂きたい。"
と言う事で、それがこのスレッドで皆さんが仰っている事であり、
それが多読の入り口を下げ、広げる事だと、コメントされてる皆さんが思われているのではないでしょうか?


自分が辞書なしで読めるところから始めるように、と言ったことはわたしはないです。
ほかの多読ではそう言うかもしれませんが、わたしは言いません。

わたしは「たとえ大学の英語の先生でも、常にペーパーバックを持ち歩いていない人は
ゼロから始める方がいい」と言っています。

omayuさんはわたしの決して勧めない方法で、うまく多読を楽しめたのですね。
わたしにとっては新しい実例として、覚えておきます。

そのうえで、このスレッドで具体的に先生の対処として求められているのは
みちるさんのおっしゃる
「自分に合わせてどういうふうに取り入れていけばいいか、
どういう風に広げていけばいいかということを考えられるようにする。」

事や、denkoさんのおっしゃる
手持ちの資源を有効活用して、レベルUPする方法もご教示いただきたく思うのであります。

ということではないでしょうか?


「だれに」合わせてでしょう? また、「手持ちの資源」はどういうものですか?
わたしの多読支援はまったくの個別支援です。
抽象的に「自分に合わせて」というのは、とても答えにくいのです。
無理に答えればきっと「ちゃんと答えていない!」という非難がくるでしょう。

そこで、提案があります。

それぞれの事情に合わせた始め方や、手持ちの資源を有効活用してレベル・アップする方法を
「いっしょに歩こ!」のフォーラムで新たに話し合いませんか?
具体的に個々の事情を知らせてくだされば、何か方法を提案できるかも知れません。

   (それより、なにより、みなさんから助言があれば、「方法を提案するのはさかいさん」という枠を越えることができます! :rainbow:

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登録日時: 2010年12月13日(月) 23:19
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Re: ブログ「町の名前を一つ」から・・・ 「語数より冊数?」

投稿記事by さかい@tadoku.org » 2013年1月15日(火) 19:42

急ぎお返事します。

MIKI さんが書きました:さかい先生、こんにちは。

「助言つき郵送ブッククラブ」の構想、すごく楽しみです!!
一箇所のNPOだけでは本が足りなくて実現が難しくても、全国にいる多読仲間の本棚も登録して、
全国いろいろなところから、本が貸し出しできるような、うまい方法はないかしら。


いいでしょう! いいのだけれど、何しろ本がたくさんないといけない、そして人手がかかる・・・
事務や郵送の手間、そして、助言する人・・・

MIKIさん、助言する方に回ってください! あ、もちろん郵送で借りる方も並行してもいいですよ!!


さかい@tadoku.org さんが書きました:「語数より冊数」それ自体は間違いないです。
味わうことも冊数から生まれてくると思います。
灘高の先生の話はよく知りませんが、何時間もかけるのでしょう?
その間に先生がいろいろな話をしたのではないかな?
それが冊数とおなじ(ひょっとすると絵とおなじ?)役割を果たしたかもしれないですね?

読書百遍意自ずから通ずる ということはあるかもしれませんが、
(実際にそうした人を知らないので)
1冊だけ(ほかの本は一切読まずに)、だれにも頼らずに、何度も読んで、
言葉が分かるようになるとは思えないですねえ・・・

先生、ごめんなさい。
灘高の橋本先生の話をここで引き合いに出すのはまったくふさわしくなかったですね(^_^;)
日本で、日本人のしかも進学校の学生たちを相手にした授業なので、比較になりません・・


下の方でさめちゃんが何か書いているようですね。
間に合えば、そこでお返事・・・

さかい@tadoku.org さんが書きました:もう一つ言うと、わたしは 質は量からしか生まれないと思ってるんですが・・・

「量」というのは、違うものをいくつもいくつも、というだけではなく、
同じものを何度も、という繰り返しも含まれるんですね。


それはもう楽しく読んだり聞いたりしていれば何度でも・・・


さかい@tadoku.org さんが書きました:
そもそも、「言葉を白い紙の上に印刷した黒い字」として考える人々というのは、
どういう人々なんでしょうね?
英語は「勉強」するものと思って、試験の結果がすべての人々?
「多読(tadoku)」も、試験のための勉強の方法のひとつとでしかないから、
いくら読んでも読んでも「言葉の世界が痩せる、味気ない広がらない」
ということになってしまっているのではないのかしら?
そういう人々は、たとえやさしい本を何冊も読んだところで、せいぜい、
「あ、この前置詞はこういう場合に使うんだ」とか「このイディオムは重要」とか、
そんなことばっかり考えているような気が・・・


その通りですね。そういう人をたーくさん見てきました。

やはり、英語は「勉強」するものと思ってる人々のことをさしていたんですね。


その通りです。

さかい@tadoku.org さんが書きました:「絵本からの多読だけ」を勧めているように見えたのはどの発言でしょう?
わたしの書いたこと全般からそう受け取れたのかな?
絵本の話をするときはテレビ・ドラマや映画や日常生活で英語に触れることも書くようにしているつもりですが、
そうは読めなかったのか。それとも「絵本からの多読だけ」を勧めていて、忘れているのか?

たしかに、先生の書かれたものは、絶対にそうでなければならない!というようなものはなかったと思います。
おそらく、私が勝手にいろいろ解釈して、そう受け取ってしまったのですね。すみません。

ただ、札幌での講演会での「文字なし絵本」から始めることの大切さを強調されていたこと、
「語数より冊数」の話題の始まりの記事で例にあげられていた、5000冊で25万語という数、
その後の「100万語から1000冊へ」というスローガンの変更の話題など・・・
一連の記事などを読むうちに、だんだんと、「絵本からの多読だけ」勧められているように
いつのまにか受け取ってしまっていました。
1000冊とか5000冊とかいう冊数の数字が、いつのまにか、私の頭の中でひとり歩きしてしまったかも。
数字やことばのひとり歩きって怖いですね(>_<)


いえいえ、わたしは勝手にドラマや映画やアニメや日常生活や仕事の場の外国語なども
強調していたつもりなのですが、全体的な印象としてはどうも「絵本からの多読だけが多読」と
主張しているように読めたらしいですね。

でも、これについてはくわしく書く時間がありません。
ブログの方で・・・

この「語数より冊数」の話題がFacebookに投稿された後、酒井先生の以前のブログ記事を読み返してみて、
こういうことが、ああいう発言につながっているんだなあ・・・など、今までぼんやりしていたことが、
少しずつわかるようになってきたように思います。
ブログから探し出すのはけっこう大変なので、リンク貼っておきますね。

「(重要!) やさしいことばはどこにある? 第三回の追補」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2009/10/12_2323.html
は、この間もリンク貼りましたが、もう一回。

「やさしいことばがそのままわかること」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2009/07/31_2249.html
「やさしいことばをたくさん吸収すること 連載第1回」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2009/08/02_0047.html
「やさしい絵本の大切さ 絵本を果実にたとえると・・・」
http://tadoku.org/sakai-note/archives/2010/02/04_2045.html
「内容語と機能語という視点」
http://tadoku.org/old-blog/archives/2008/10/26_1227.html

MIKI

リンクを貼っていただいて、ありがとうございました! :datubo:
わたしももう一度読んでみよう。(絵本から始めること!」という印象を与えているかどうか・・・)

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