多読一年目の報告です。

多読・多読的リスニング・多読的スピーキング・多読的ライティングに関する、報告、相談、質問など。
フォーラムルール
- このフォーラムでは、各自で新規トピックをたててください。
- 過去のやりとりなども参考になります。検索を使ってみてください。
- 同じ相談・質問は禁止ではありません。あなたのお話しを聞かせてください。

多読一年目の報告です。

投稿記事by oriduru1970 » 2017年10月12日(木) 20:46

今年の9月で英語多読を初めて一年目、という話を9月の初めにクラスでしたところ、酒井先生に一年間続けた感想を書いて欲しいと頼まれました。何を書いたものかなと考えているうちに10月になってしまいましたが、とにかく多読を一年と一ヶ月続けて、自分なりに思ったことなどをつれづれ書いていきたいと思います。

日本語だけだと、得られる情報に制限があるようだと気づき、英語をきちんと身につけたいと思いはじめた矢先に、新宿区の地域紙かフリーペーパーか何かで、多言語多読の記事を見つけたのがきっかけです。
興味を引かれてググってみると、近い日付で無料体験会が開かれていたので参加しました。本がたくさんある空間がとにかく好きなので、無料体験会後にクラスの申し込みをしました。色々とタイミングが良かったと思います。

始めた頃は文章の多い絵本を見ると、だまされたような気持ちになる程度の英語力でしたが、今では一般向けのペーパーバックを手に取ることへの抵抗が無くなりました。日本語の本と同じ理解度とまではいきませんが、多読をはじめてから、読書の幅は確実に広がりました。

絵本や児童書を読み始めて驚いたのは、子ども向けの本には、著者がこれまで生きてきた中で学んできて、子どもに知って欲しいと思っている信念や価値観が、大人向けの本以上にはっきり現れていることです。

何語であろうと子ども向けの本は、まだ社会化されていない子どもが、自分を取り巻く世界を受け入れるための物の見方や、社会の中での振るまい方を自然と身につけられるように作られているようです。

だから英語を母語とする社会で生まれ育った人が、自分の社会の子ども達に向けて書いた本をたくさん読むのは、英語圏の社会や文化を疑似体験して、それらを感覚的に理解できるようになるための、最良の方法のひとつだと思います。

言語の裏には、その言語独自の文化や習慣や歴史の積み重ねがあります。そういった言語の土台が、私が受けた学校英語には欠けていたのかな、というのが多読を一年続けた感想です。

早い話が児童書や絵本の魅力に目覚めました。
多読を始めて割とすぐに、英語を身につけるために児童書を読むのではなく、児童書を読むために児童書を読んでいて、それがたまたま英語の本だ、という風に意識が変わったので、本を読むだけならなんとかなっているのだと思います。

英語圏の文化や習慣、歴史の積み重ねを感じ取るのにおすすめのシリーズは、Welcome books series, Rookie Read seriesです。本の交換でも必ず借りるようにしています。
私はこのシリーズで、リンゴジュースを温めてスパイスを入れて作るアップルサイダーや、お風呂に重曹やオートミールを入れるとかゆみ止めになるのを知りました。

特に印象に残っているのは、Rookie readの動物の赤ちゃんの呼び方を紹介している本です。その本を読むと、その動物が欧米社会の中でどんな位置にいるのかがなんとなく見えてきます。それまで「畜産が盛ん」というのはただの知識でしかありませんでしたが、その本を読んではじめて、畜産が盛んってこういうことか!と感覚的に理解できました。
動物と人との距離がずっと近かったから、Black Beauty やドリトル先生、シートン動物記のような作品が生まれて、ペットについての本では正しい知識を持って、動物をリスペクトして扱うように教えているし、アニマルウェルフェアのような考え方も生まれてきたのか、と納得でした。

言語の背景の色々を抜きにしても、大人でも知らなかったり、どう説明したらいいか困ってしまうことを、易しい言葉でわかりやすく説明しているので、感心することが多いシリーズです。

オーストラリアのSpringboardも好きです。同じ英語圏でも、イギリスやアメリカ、カナダとは文化が微妙に違うのが楽しいです。

異文化や多様性に触れて、様々な物の見方があるのを知るのはとにかく楽しいので、これからは他の言語も増やしていこうと思っています。

Show post links

oriduru1970
 
記事: 7
登録日時: 2017年1月29日(日) 13:44

Re: 多読一年目の報告です。

投稿記事by さかい@tadoku.org » 2017年10月13日(金) 19:50

oriduru1970さん、1年と1ヶ月報告、ありがとうございました!

絵本や児童書そのものを楽しむようになったとのこと、いいですね。
それに英語国の文化のことまで楽しんでいる様子ーーなんとも言えませんね。
ことば一つ一つがじわりじわりと染み込んでいる感じです。 :applause:

これはそのままTadoku研究の大切な資料にしますが、
多読を始めるまでの「英語歴」のようなものも簡単に知らせてくださると
資料として価値が高くなります!

よろしくお願いします!

追伸
oriduru1970さんはNPO多言語多読の講座受講生ですが、
ほかにも何人も報告をお願いしてます!
忘れてませんからね!!
今度顔を見たら、またお願いしますよ、いいですね!!! :pencil:

Show post links

アバター
さかい@tadoku.org
 
記事: 3288
登録日時: 2010年12月13日(月) 23:19
お住まい: Tachikawa-shi, Tokyo, Japan
Pottermore username: QuillStrike149

Re: 多読一年目の報告です。

投稿記事by oriduru1970 » 2017年10月15日(日) 00:26

私が通っていた小学校では低学年の頃だけ、月に1、2回だけだったと思いますが、英語の授業がありました。
うろおぼえですが、英語の「お勉強」ではなく、英語で歌ったりして遊ぶことに重点を置いていた気がします。
Head Shoulders Knees & Toes を歌ってた覚えがあります。なかなか愉快でした。
そのクラスが何年生まであったのか、はっきりと覚えてはいないのですが、2年生まではあったように思います。
3年生の頃は…どうだったかな?すみません、あまり覚えていません。
講師はネイティブスピーカーの白人男性でした。教育のための訓練を受けたプロなのかはわかりません。

それと英語ではないのですが、クリスマスにはラテン語が混ざっている賛美歌を全校生徒で歌うイベントがありました。
イベントというか、まあクリスマスの礼拝ですが。クリスマスの一ヶ月前くらいから全校を挙げての練習でした。
信仰心はさっぱり身につきませんでしたが、ラテン語は、子供心に美しい言葉だと感じていました。
今でもラテン語への憧れはあります。ラテン語の絵本ってありますか?
イギリスの子は、小学校で第二言語としてフランス語かラテン語を選べるそうで、うらやましい環境ですね。
これは英語歴と関係あります?

中学高校は普通の学校で、ごく一般的な英語教育を受けました。塾もちょっとは通いましたね。英語の成績は普通くらいです。
中学の修学旅行はオーストラリアで、1週間ホームステイをしました。
ご飯はおいしかったですが、豆腐が恋しかったです。
ホームステイ先の家族はいい人達で、意思の疎通に困ることはありませんでしたが、お母さんの名前を発音するのが難しくて、
とうとうきちんと発音できなかったのは残念でした。
そのご家庭はファミリーネームも難しくて、オーストラリアの現地の人も、どう発音したらいいかわからず戸惑っていました。
当時はオーストラリアが移民社会とあまりわかっておらず、英語圏の人が同じ国の人の名前を読めないのが疑問でしたが、
こうして思い返してみると、どういうルーツを持っている人たちだったのか気になってきます。
善くしてくれたのに、何も知ろうとできなかったのが、今になって残念に思えてきました。

高校では英語部に入っていました。
学校が雇っている外国人講師と交流したり、英語のクイズをしたりするだけの特におもしろくもない部活で、
なぜ入っていたのかは自分でも説明がつきません。
たぶん、部活には入るものだという固定観念があったのだと思います。そんな規則も無かったのに。
日本人だらけの環境に退屈していたのかな?これくらいしかまともな理由が思い浮かびません。
講師は二人いて、ひとりはすらりとした、いかにもなイギリス人女性で、ひとりは少し前まで沖縄の基地にいたアメリカ人男性でした。
イギリス人の方は美しいクイーンイングリッシュを話す人で、学校に雇われるきっかけも、
その美しい発音が学校に勤めている英語教師に気に入られたからだと聞いたことがあります。
アメリカ人は、この高校にはじめて来た時に、金持ちそうな学校だと思ったそうです。特別お金持ちの学校ではありませんでしたが。
大抵いつも金持ちの子供の相手は面倒だみたいな態度をしていました。沖縄に恋人がいて、早く帰りたがっていたので、無理もないかもしれません。
学校英語との付き合いは中学高校で終了です。

子供の頃から本が好きで、好きな本を原著で読みたいと思うことも多かったので、
大人になってからは、好きな本や興味のある本の原著や英訳版に手を出しては挫折したり、
図書館で外国語の朗読CDを探しては聴いてみるけど全く分からず…ということを度々、何かの発作のように繰り返していました。
たまに自分でも読めるペーパーバッグや洋書絵本を見つけることもありましたが、
当時の私に簡単に読めるものは、英語の本を読んだという達成感は味わえても、次の本を読みたいと弾みがつくような内容でもなく…。

読みたい本は読めないし、読める本は興味を持てなかったので、自然と詩や洋楽に興味が移っていきました。
でも詩は短くても難しいことが多いので、好きな洋楽の歌詞を書き写したりしてましたね。
日本語訳とセットで写していたので、分からなくて嫌になるということが無かったのかな?
洋楽は音があったのがよかったのかもしれません。

洋画を見るのもずっと好きでした。
オリジナルの音声の方が、登場人物の感情を感じられたので、選べる時は字幕で見ていました。
特別に好きな映画のシナリオブックも買ってましたね。今も持っています。

大事な本は邦訳されるし、無理に外国語を身につけなくても良いかと、若干あきらめの気持ちもあったのですが、
ネットには、日本では報道されないニュースを邦訳している人とかいますよね。
そういう文章を読むと、日本語だけで得られる情報には限りがあるし、ネットの有志が訳してくれるのを待つタイムラグが嫌だ、
やっぱり英語を身につけたい、と思うようになった頃に多言語多読を知り、今に至ります。
読めもしないのに集めた本たちを読み切れる日が楽しみです。今も増え続けていますが。

日常的に自然な英語のある環境とはあまり縁がありませんでしたが、
自分や周りの人が共有しているように思える価値観や常識は普遍的なものではなく、
その人の立場によって様々な考え方があることを、ぼんやりとではありますが感じ取れる機会には恵まれていた気がしています。

以上です。書いていて不安になりましたが、これは英語歴の報告になっていますか?

Show post links

oriduru1970
 
記事: 7
登録日時: 2017年1月29日(日) 13:44


Return to いっしょに歩こ! - tadokuに関する報告、質問など

オンラインデータ

このフォーラムを閲覧中のユーザー: なし & ゲスト[1人]

cron